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バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

一美からの悲しい手紙

        
        *二通目 <悲しい手紙>

    今は早、九月も十日。 昨日は、重陽の節句だったから、
   これから 日ごとに 日本の各地は、菊の花の甘い香りに
   包まれてゆくことでしょう。爽やかな秋がもうすぐで
   とっても嬉しくなります。でも残念ながら今日は雨。
   おとといから降り続いている雨が、自動車免許を早く
   取ろうと焦っている私のそばを冷ややかに降りしきっています。
   そう、日本の秋のメインゲスト、台風がやって来ようとして
   いるのです。明日の昼頃には、もしかすると四国にも上陸
   するかも知れません。

    ソビエトのベレンコ中尉がミグ25戦闘機で
   函館空港に強行着陸、それからアメリカへ
   亡命したかと思うと、昨日は中国の毛沢東主席が
   亡くなったし、続く台風の心配・・・・なんとなく
   秋のムードには、相応しくない慌ただしい毎日が続いています。

    遅くなりましたが東川君、お変わりなく元気で
   インドへ向かっているでしょうか。多分この手紙を読んで
   くれる頃には、無事インドへ到着しているはずですね。
   おめでとう!

    蚊や南京虫なんかに刺されたりして健康を損ねては
   いないかしらと少し心配ですが、でもここまで来れば
   もう旅程の半分を成就したんだもの。これからの道は
   もう自信を持ってこれからの道を進めますね。

    ところでインドはどうですか。とてつもなく暑いのかしら。
   それとも?子供の頃からインドと言う土地が世界中で
   一番過酷な土地ではないかと言うイメージを
   拭いきれない私ですが、実際はどうなんでしょう!?

    見ると聞くとは大違いって言うけど、それが理解できるのは
   実際にその地を踏みしめているあなただけですものね。
   とっても羨ましいです。台湾にしろ、タイにしろ、そして
   インドにしろ、あまり言葉も持たないあなたが異国の人の
   善意とあなたの勇気とを頼みにここまで進んで来られたってことは、
   とてつもなく素晴らしい事だって気がします。

    私みたいに、子供の頃からずっと外国に憧れていながら
   臆病で一歩も国外に踏み出せない人間にとっては、
   あなたが、どんな体験をしているのか想像もつかないけれど
   でもあなたなら、何があっても大丈夫だって気持ちも
   強くしています。

    同じように勇気のある弟さんもアメリカから
   無事に帰られたはずだから、どうぞあなたも負けずに
   元気にギリシャへ、インドへ、そして日本へと
   たくさんのおみやげ話を抱えて帰って来てくださいね。

    でもあなたが、イギリスであまり長く滞在するようだと
   私の方も今よりもっと限られた自由のない生活の
   中へ入っているかも知れませんね。多分来年の秋頃に
   結婚することになるだろうと思います。
   まだはっきりと決まった訳ではないから
   ここに書くべきかどうか迷ったのだけど
   でも昔から親友のあなたには知っていて欲しくも
   あったのです。

    相手は、あなたと同じように十年来付き合ってきた
   同級生で設計士をしている人・・・と言ったら、
   もう分ってもらえたでしょう。
   私達は、性格も全く違うし、経済的にも
   あまり自信ないけど、でもいろんな回り道を
   何度もしあって、それでもやっぱり一緒に
   やっていきたいと感じた人だから
   その気持ちだけを頼りに助け合って
   やってゆきたいと思います。

    とは言っても、少なくとも一年は
   先の事になると思います。こんな決心が出来たのも
   あなたのおかげかも知れません。いろんな物を
   なげうっても、自分の夢の実現のために
   単身異国へと踏み出したあなたの勇気の何分の一かを
   私が持ち得たから、掴み得た幸せかも知れないと・・・。

    でもこれから、まだまだ中近東という危険地帯へ
   進んでいかなければならないあなたに、こんな自分だけ
   独りよがりみたいな話をして、ごめんなさいね。
   でもたとえ、結婚しようと、今まで通り友達で
   いてくれるでしょう?そして私達の結婚式にも
   駆けつけて下さることを希望しています。

    広いインド大陸や洋々とした海を見ていたら、ちっぽけな
   日本のことなど忘れてしまったあなたかも知れませんが、
   いつもあなたの事を心配しているご両親や私達の事も
   時々は思い出して、あまり無理をせず、病気や
   ケガのない、ゆたかな旅をしていって欲しいナ・・・・
   と思います。

    それじゃ・・・最終地点のギリシャで、また私の下手な
   文字にゆきあたるのを覚悟しながら、元気で旅を
   続けていってくださいね。幸運を祈っています。

                   昭和五十一年九月十日

    東川君へ
                          一美より

                    *


   こうした一時の休息は、日本でのいろんな苦悶を思い出させてくれる。
 日本を離れた俺の事を、思い出してくれている人がいる。
 ただそれだけでも、幸せものであるのだから・・・・・。

          「私、結婚します!!!」

   旅の途中でのこの便り。
 きついものがある。
 旅の前日、一美の家を訪問して、帰って来たら告白しよう。
 そう思ったことを後悔しよう。
 なぜあの時、言わなかったのか。
 言えなかったのか。

   アドベンチャーと呼ばれた、歴史上の人物も、少なからず、こうした経験をしているのである。
 トロイの遺跡を発見した、シュリーマンもそうであったように。
 そうした事が、自分の目的への情熱へと変えて行った事も事実かもしれない。
 (自分を慰めている・・・・のかい。)

   俺は女に対して、常に臆病であったし、自分勝手すぎたのかも知れない。
 彼女に対しても・・・・・。
 一ヶ月遅れの、それもデリーで受け取るべき便りを、ここイスタンブールで受け取る事になろうとは・・・・。
 夢にまで見た旅ではあるが、失ったものも大変大きかったと言わざるを得ないだろう。
 まだ旅は、半分も終っていないと言うのに。

   そういえば、この旅に出て新しく覚えた歌がある。
 タイのマレーシア・ホテルの一室で、こうなるとは知らずに、一生懸命覚えた歌だ。
 とっても気に入った唄なのだ。
 それが、自分のことを歌った歌だとは思いもよらなかった。
 確か・・・・”22才の別れ”・・・だったように思う。


       ♪ あなたに さようならって言えるのは 今日だけ
       ♪ 明日になって また あなたの暖かい手に
       ♪ 触れたらきっと 言えなくなってしまう
       ♪ そんな気がして

       ♪ 私には鏡に写ったあなたの姿を見つけられずに
       ♪ 私の 目の前にあった
       ♪ 幸せに すがりついてしまったの

       ♪ 私の 誕生日に22本の ローソクを立て
       ♪ 一つ一つが みんな君の 人生だねって
       ♪ 17本目からは 一緒に火をつけたのが
       ♪ 昨日の ことのようで

       ♪ 今では 5年の月日が 長すぎた春と言えるだけです
       ♪ あなたの 知らない所へ
       ♪ 嫁いでいく私にとって

       ♪ 一つだけ こんな私の
       ♪ わがまま聞いてくれるなら
       ♪ あなたは あなたのままで 変わらずにいて下さい
       ♪ そのままで・・・・・


   こんな唄が今、現実のものとなって、頭の中を猛烈に駆け巡っていく。
 考えてみれば当然の結果だったようナ・・・。
 十年も信じていてくれって・・・放って置いたのだから。
 旅に出る前に逢ったあいつ。
 俺にくれた贈り物は今、ここにある。

   なぜ、あの時”待っていて欲しい”の一言が、口をついて出てこなかったのか。
 分ってくれてるとでも思っていたのか。
 としたら、思い上がりの何ものでもないではないか。
 これはもう、終った事なのか。

      「お姉さんが心配していたわよ!」

   彼女の妹の言葉が、耳に響いてくる。
 わかってくれているものと思っていた。
 そんな独りよがりな言葉。
 今すぐ、飛んで帰りたい。
 いや、帰れなくなってしまった。

                      *

   久しぶりの再会。
 ビールでの宴会は、まだまだ続いている。
 みんな、楽しそうだ。
 俺を除いて。
 明日からまた一人。
 昨日まで、あんなに美味しかったビールが、抜けてしまったようだ。
 ビールって、こんなにも苦いものだったとは・・・・。
 騒いでいる言葉が、頭の上を通り過ぎていく。
 虚しく。


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